もはある日記

岡山県の西端で、英日翻訳をしています。ここに「も」ステキなもの「は」いっぱい「ある」よ!

読書: 『街の公共サインを点検する』

東京オリンピック開催が決まったころ、公共サイン (駅や道路などの案内、看板、標識など) の翻訳需要が高まるかも~なんて話がそこかしこでありました。それから幾年…

 

私は主に英→日の翻訳をしているので、日→英 (中、韓 etc) の需要が主であろう公共サイン翻訳の引き合いはないのですが、公共サイン翻訳の現状が常々気になっています。

 

そこで手にしたのが本書『街の公共サインを点検する』です。

 

本書は副題に『外国人にはどう見えるか』どおり、日本を訪れる (日本に住む) 外国人にとって、公共サインがどう見えているか、適切に役立っているかの考察が中心です。

しかし、公共サインが正しく訳されているかどうかだけでなく、その情報を必要としている人に適切に届くか (わかりやすい場所に設置されてるか。そもそも日本は公共の場に掲示物が多すぎる) という点も分析しており、言語を問わず、サイン (案内、看板、標識など) を設置・掲示する人はマストリードの内容になっています。

 

特に印象に残ったのは「防犯に関するサイン」セクションの「標準モデル (日+英+中+韓 [韓+中]) の順序は変えない」、「日本語と外国語でメッセージを変えない」という点です。

多言語の案内を用意するのは良いことですが、扱い方次第では差別や偏見で相手を不快にさせかねない (特に、防犯に関するサインでは相手を想定犯罪者と見なしていると伝えることになりかねない) と指摘しています。

オリンピック×公共サインで、こんな事件がありましたね。

www.huffingtonpost.jp

「宿泊客」と「オリンピック関係者」で分けていれば妥当性 (オリンピック関係者を守るため。内閣官房の規定) があるのに、なぜか「日本人」と「外国人」で分けてしまったために、張り紙を作った人の本心はどうであれ、「外国人がコロナの感染源だと思っている」というメッセージを伝えてしまったわけです。

 

聞いた相手がどう感じるかを考えて文章を作るのは、母語でも難しいものです (毎日のようにニュースで失言の謝罪を見ますね)。差別語・不快語だけなら機械的にピックアップして取り除くことは可能ですが  (以前「翻訳での差別語・不快語の扱いを考える」という記事を書きました)、潜在的な差別的思想に気付くのはそう簡単なことではありません。定期的に差別問題について考えたいと思っているので、本書はその良い機会になりました。