もはある日記

岡山県の西端で、英日翻訳をしています。ここに「も」ステキなもの「は」いっぱい「ある」よ!

翻訳での差別語・不快語の扱いを考える

翻訳をしていると不意に出会う、センシティブな言葉。表記を「障害」にするか、「障がい」にするか、「障碍」にするか、時間をかけて検討することもままあります。

普段から悩んでいる差別語・不快語の扱いについて、考えをまとめてみました。

 

 

翻訳者の説明責任

大手の翻訳会社やソースクライアントからの案件では、翻訳を終えた後、訳文に差別語・不快語が含まれていないか(ポリティカルコレクトネス)のチェックを実施することがあります。

用意された差別語・不快語のリストに照らし合わせて、該当する用語を含む文を前後のコンテキストも含めて確認し、修正が必要かどうか判断する、という流れ。

実務翻訳について言えば、そもそも差別的な要素が入り込む隙のないテーマで、不特定多数が読む可能性があることを前提に書かれた文書が多いため、原文に差別語・不快語が使われていることは少なく、訳文も同様に差別語・不快語が含まれることはまずありません。できる限り差別語・不快語を使わないように気を付けて訳していればなおさらです。

 

とはいえ、前述の差別語・不快語チェックは機械的に行われるため、チェックに引っかかる言葉はそれなりに出ます。

そこで、英日訳の納品後に日本語がわからない PM から、「チェックで XXX って言葉が引っかかったんだけど、本当にこの訳で大丈夫?」と確認の連絡がきたりします。ほとんどは誤検出で、そのままの訳で問題ありませんが、どうしてその言葉を使う必要があるのかを翻訳者は説明できなければなりません。

 

IT 翻訳の事例

私の専門は IT 分野なので、そこで実際に仕事で出てきた例をいくつか挙げてみます。

いずれの分野でも、翻訳の仕事をしていれば、差別語・不快語を意識しなければならない場面はそこそこあるのではないでしょうか。

誤検出

差別語ではないので、そのまま使って問題ないのですが、とても頻繁に出てきて、チェックにひっかかります。説明用に定型文を用意してもいいくらいです。

  • ブス: サブスクリプション。
  • 障害: 接続障害、データセンター障害、電波障害。

アクセシビリティ関係

最近では、高齢者や障害者なども含めたあらゆる人が利用できるように考慮して作られたソフトウェアや Web サイトが増えています。パソコンのハイコントラスト表示や読み上げ機能、動画の字幕機能はアクセシビリティ機能の一例です。

そのような機能の設計ドキュメント、仕様書などは、扱いに気を遣います。

専門用語

IT 分野で使われる専門用語には、ポリティカルコレクトネスの点で、疑問がつくものがいくつもあります (残念ながら、私はその差別性を見落としてしまうことがよくありますが…)。

例えば、「ホワイトリスト」と「ブラックリスト」。これはそれぞれ「許可リスト」や「セーフリスト」、「拒否リスト」や「ブロックリスト」などに言い換えが進んでいます。他にも、データベースやプロジェクトの「マスター/スレイブ」を「プライマリ/レプリカ」や「リーダー/フォロワー」と変更することがあります。

差別語・不快語は言い換えればよい?

意識せず差別語・不快語を使ってしまった場合、どう修正するのがよいでしょうか?

そこで、下記の本を読んだところ、差別語・不快語について考える指針として非常に参考になりました。※ちなみに、読んだのは 2011 年出版の旧版の方なので、引用ページ数は最新版とは異なる可能性があります。

 

最新 差別語・不快語

最新 差別語・不快語

  • 作者:小林 健治
  • 発売日: 2016/08/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

例 1: ブラックリスト

差別語・不快語を単純に別の言葉に置き換えればよいのでしょうか。

例えば、先述の「ブラックリスト」から「拒否リスト」への言い換えについて考えてみます。

「拒否リスト」よりも「ブラックリスト」の方がまだ一般的に使われているし、「ブラック」って単なる色で差別的な意図で使っているわけではないし… (と個人で思っていても、ソースクライアント名義で公開される文書であるので、自分の意図とは関係なく第三者がそれを差別的と感じるかどうかを慎重に考えねばならない)、というわけで、言い換えるか、そのまま行くか、なかなか悩みます。

訳語を考えるうえで指針になりそうな箇所をいくつか引用してみます。

差別語や差別表現は、現実にある差別の実態を容認している社会意識を固定化させ、結果として社会的差別を強める作用をします。重要なことは、マニュアル的な言い換えではなく、差別の実態と言葉のもつ差別性を理解したうえで、代替表現を模索することです。(33 ページ)

言葉を言い換えただけでは現実の差別的実態は変わらない。しかし、差別的実態は言語(差別語)によって表現される。それゆえ新たに積極的・肯定的な言語を生みだすことは、社会意識に働きかけ、差別を容認している現実社会に影響を与え、その変革を促進する力ともなる。(34 ページ)

翻訳者御用達 (?) 『記者ハンドブック第 8 版』に言及した箇所にはこうあります。

 

なぜその表現(言葉)がいけないのかの説明がなく、不快語、注意後、避けたい言葉の一覧表が、言い換え言葉と一緒に記されているだけのものがほとんどです。

たとえば「処女作」「処女航海」「処女峰」という言葉が、いまなぜ問題とされているのかを考えることから、性差別の不快語問題と向きあう必要があります。なぜ「デビュー作」、あるいは「第 1 作」「初航海」「未踏峰」ではなく、「処女作」という言葉を選択したのかを、熟考することが大切です。(229 ページ)

 さらに、当事者の自称を尊重する原則について。

1970 年代以降、差別的な "他称" をいい換える運動が世界的規模で起こり、日本でも多くの差別的呼称の変更が行われました。そのとりくみのなかで、"他称" を付けた側からの一方的ないい換えに異論を唱える先住民族やマイノリティ集団の存在もあきらかになっています。呼称に関する第 1 の原則は、その先住民族やマイノリティ集団自身が選択した "自称" に従って語り、記述することです。(180 ページ)

 一方、ブラックという呼称に関しては、以下のような説明があります。

1970 年代に入って、黒人の側から初めて自覚的な自称としてだされたのが「Black:ブラック」です。

(中略)

Black は、「ブラックマンデー」「ブラックリスト」「ブラックアウト」「ブラックマネー」など否定的な意味あいを持つ言葉として存在していますが、そうした Black という言葉のもつ否定的なマイナスイメージを、肯定的にとらえなおすだけでなく、その後の、「アフロアメリカン」に変換する運動として、結実しています。(200 ページ)

なかなか引用が長くなりました。いろいろなポイントがあって複雑ですが、上記から総合的に考えると「ブラックリスト」は「拒否リスト」に変えた方がよい、となります。

ブラックリスト」は黒人差別から生まれた言葉ではないと思いますが、ブラックとホワイト(黒人と白人)の区別が想起され、ブラックにネガティブなイメージがあることから、差別性があると考えられており、この名称には多くの意義が唱えられています (参考: 「 ブラックリスト 」などの広告用語、差別的と見直す動き:「これは手っ取り早い方法のひとつ」 | DIGIDAY[日本版])。

このような議論を認識しながら、「拒否リスト」という中立的な代替表現があるのに、あえて「ブラックリスト」を使う理由は...あるでしょうか?

例 2: 障害

もう 1 つ例を挙げましょう。クライアントから、「障害」を「障がい」に言い換えるよう指示されたことがあります(「障害」の表記にはいろいろな意見があるので、どの表記が良いとはここではいいません)。

担当者さんは差別語・不快語チェックにひっかからなければいいや…という考えだったのではないでしょうか。たしかに、チェックにひっかかると面倒なのですが…面倒なのでいろいろと回避方法を考えるのですが…。

ただ、「身体障害」でも「接続障害」でも「障害物」でも、まとめて「障がい」に置換!というのはあまりにも無配慮で乱暴すぎるので、「身体障害」は「身体障がい」にするとして、「接続障害」は「接続エラー」や「接続トラブル」、「障害物」は「障壁」にしましょうか、と提案しました。

いい換えをする場合には、なぜいい換えるのかという目的意識をもっておこなうことが大切です。たんなる「抗議されると面倒だから」「臭いものにはふたをする」といった程度の認識では、意味がありません。(44 ページ)

実際、何が差別語・不快語で、いい換えた方がいいのかの判断は、いつも悩むところです。

本書の障害者差別のセクションには、視覚障害者に関する言葉について、視覚障害者自身がどのように考えているかを尋ねたアンケート結果が示されています。「めくら」という言葉を許容できない人がほとんどなのは想像通りでしたが、「盲従」や「盲目的」という日常的に何気なく使ってしまう言葉に対しても拒否感を示す人が 40% 以上いることは驚きでした。言葉を扱う仕事をしている以上、その言葉が問題ない、と思っているのは本当は思い込みではないか、ということを常に自分に問いかけねばなりませんね… (本当に難しいけど!!!)。

「べらぼう」「唖然」「呆然」も、日常語としてすっかり定着していますが、もともとは差別的な言葉だったという説明も、言葉を無意識的に使っていることを指摘されるようで、なかなかグサリときました。

例 3: 文芸翻訳

文芸作品は、書かれた時代の精神や文化が反映されています。原作中で使われている差別語を、翻訳書であたりさわりのない言葉に変えてよいものでしょうか?

本書では、時代背景や原作者の意図を尊重して差別語をそのままとし、適切な断り書きや注釈を付けて読者の作品に対する認識と理解を促すことを実例を示しながら推奨しています。

 翻訳者に求められること

ここまで、いろいろと例を挙げてみました。

差別語・不快語はただ一律に言い換えればよいというわけではなく、ケースバイケースで代替表現を模索する必要があります。

何が差別語なのかの基準も、社会の変化に合わせて変わっていきます。既に挙げた IT 専門用語の言い換えのほかにも、ジェンダー関連の言い換えも進んでいますね (man→person など)。

ということで、現在の翻訳者には社会状況に合わせて適切に語彙をアップデートできる能力が求められているのではないかと思います。

機械翻訳が翻訳者の仕事を奪う~!とか言われている昨今ですが、コンテキストに合わせて表現を選び、その表現を選んだ理由を責任持って説明できる、というのはやはり、人間しかできないのではないでしょうか (今のところ。確信はない…)。

参考文献

 私は差別語・不快語のリファレンスとして、下記の 2 冊を手元に置いています。

最新 差別語・不快語

最新 差別語・不快語

  • 作者:小林 健治
  • 発売日: 2016/08/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)