もはある日記

岡山県の西端で、英日翻訳をしています。ここに「も」ステキなもの「は」いっぱい「ある」よ!

読書:『文章添削の教科書』

翻訳の仕事をしていると、他の人が翻訳した文のレビューを依頼されることがあります。適切に訳されているかを確認して、必要に応じて変更を加える作業です (場合によっては、翻訳者にフィードバックを返します)。

 

レビューの仕事を何年もやっていますが、未だにレビューってどうやったらいいの!状態です。困りごとは尽きません。

 

他人が訳した文章に変更を加えるにあたっては、変更後の文章の方が本当に優れていると言えるのかどうかに悩みます。また、変更が必要な箇所を見落としていないかどうか、常に気を張ります。どうやったらこの悩みを解消できるのでしょう?

 

ということで、本日紹介する本はこちら。

翻訳レビューには文の添削という一面もあるので、私の悩みのヒントが得られることを期待して手に取りました。

 

本書を読み通してみると、添削の心構えの点は、長く添削を続けてきた先達の意見として参考になりました (後で、該当箇所を引用します)。文章添削をメインテーマにした類書を見たことがないので、読む価値はあると思います。

 

一方、添削の手法や実践に関しては、単文に手を加える (読点の追加、語順の変更) レベルの例しか載っておらず、文章の展開や構成を考慮した添削例や、文に添削を加えるのが妥当かどうかの検討はほとんどありません。そのため、実務で生かすには不十分ですし、文章の推敲や校正、校閲をテーマにした類書と大きく変わらないように感じました。

また、添削では普通、元になった文章の書き手と、添削後の文章の読み手 (元の書き手と同じ場合もある) がいるはずですが、本書では書き手への教育的フィードバック、書き手の意図の推測、目的の読者を想定した言葉選びといった側面は取り上げられていません。本書では添削を「人の書いた文章に手を入れて直すこと」(2 ページ) とも「人の書いた文章を自分のコトバの体系と共鳴するように書き直して理解すること」(3 ページ) とも言っていて、文章をブラッシュアップするための手段というよりは、文章を自分がより良く理解するための手段ととらえている節があります。

 

添削の心構え

レビューでは何をすべきか、どの程度変更を加えるべきか、好みの変更ばかりになってしまってはいないか、レビュースキルはどのように磨くべきか、など、悩むことは多々あります。

そんな悩みが軽くなりそうな箇所をいくつか本書から引用します。

 

添削とは何か。

一般には、誤字・脱字を直したり、助詞を入れ替えたり、文末を統一するくらいのことだと思われています。それでは文章の校正と大差ありません。(中略) むしろ、文章添削は文章の推敲に近いものです。(12ページ)

推敲は自分の文章をより良くする作業ですが、添削は他人の文章をより良くする作業、というわけですね。

 

どの程度変更を加えるべきか?

添削はあくまで添削であって、原文の書き換えではありません。できる限り原文の流れを生かします。書き換えができるのは書き手自身だけです。添削者はいわば、文章の仕上げの黒子です。添削とは、「このような直し方がある」という提案なのです。(14 ページ)

「提案」という意識は常に持っていたいところです。レビューとは文章に「ケチをつける」のではなく文章を「より良くする」ための作業だ、という認識をレビューをする側/受ける側で共通して持てたら平穏なのですが、レビューされるのを極端に嫌う翻訳者や、好みの変更を入れすぎて文章をまるっと書き換えてしまうレビュアーもいるもので…。お互いに補い合って、良い成果物を作れる関係ができたらよいのですが。

 

スキルアップ方法に対するヒント。

添削力とは、添削者の読解力と文章力とに依存するものです。添削された文章は、添削者の書く文章よりも優れた文章になることはありません。しかし、その逆はあります。元の文章を悪くしてしまうことです。ですから、添削者は日々たゆまず読解力と文章力を高める必要があります。(18 ページ)

翻訳チェッカー/レビュアーには相応の原文の読解力と訳文のライティング力が求められるということですね。

 

添削には限界があります。あくまで原文の意図に沿って直すという点です。書き手が意図しないことを書き加えたり、逆に、書き手が書こうとしながら十分に書き込めなかった内容をあっさり切り捨ててしまってはいけません。(19 ページ)

この文章は、翻訳作業自体にも当てはまる気がします。