もはある日記

岡山県の西端で、英日翻訳をしています。ここに「も」ステキなもの「は」いっぱい「ある」よ!

読書:『校閲至極』

今回読んだのはこれ。

サンデー毎日』に連載されているコラム「校閲至極」を 1 冊にまとめた本です。

 

校閲をテーマにした本というと、ありがちな言葉の間違いとか、面白い誤字を発見した話とか、そんなトピックが多いもの。この本もご多分に漏れませんが、たくさんの校閲者が執筆しているだけあって、ときどき「おっ」と思うような面白い視点のコラムがあります。

 

中でも個人的に好きなのが、気になった言葉について徹底的に調べてみたタイプのコラム。校閲でそこまで調べる必要ないでしょ (そこまで調べても、成果物の品質には影響しないでしょ)!?と思うのですが…ついつい調べたくなっちゃうんでしょうね。

なぜなら翻訳者も似たようなものだから (人による)。翻訳に必要な情報が揃った後でも、つい気になって調べものを続けてしまうし、面白いことが分かったら伝えたくなってしまう、という。

 

ジェンダー」や「差別」に関するコラムも良かったです。

ジェンダーや差別は、翻訳でも問題になることがあります。

翻訳物を納品する前に特定の言葉が使われていないかどうかを機械的にチェックして、使われていれば無難な言葉に置き換える…なんてことを求められることもあります (本当はケースバイケースで判断していくべきなのですが)。

さて、校閲の現場ではどうなのか…。本書に掲載のコラムには、ある言葉を使う是非を単純に検討しているだけでなく、言葉選びに関する悩みとか、葛藤のようなものが伝わってくるものがありました。

 

以下、本書から引用。

ジェンダーに限らず、差別などに関する語は、そうした「気にする人がいるかどうか」で使用の是非を判断されがちだが、真に大事なのはそこではない。メディアが特定の価値観に基づいた表現を使うことにより、人々にそうした価値観を知らず知らずのうちにすり込んでしまうのが問題なのだ。

(本書 134 ページ)

 

なぜ差別語や不快語を慎重に扱わなければならないか、について説明するとき、

  • 話者の文化程度や人権意識の低さを露呈することになる
  • 他者の心身を痛め、傷付け、取返しのつかない事態を招きかねない

といった理由が主に挙げられますが、こと文筆業に関して言えば、

  • 公益: 将来世代の差別の回避

も (職業倫理的に) 理由に入ってくるんだろうな、と思ったのでした。