翻訳の品質に関していろいろなリクエストを受けることがあります。
「直訳調の表現は避けてください」、「原文に即しつつ、分かりづらいところは意訳で」とか、「英文を読む参考にするので直訳で」とか。
で、直訳して納品したつもりが、クライアントに「それって意訳ですよね?」と言われてしまったりとか (機械翻訳が発達している現在、「直訳」を人間に依頼してくるクライアントは少ないのですが、さまざまな理由でゼロではない)。
個々人の「直訳」と「意訳」に対する認識にばらつきがあるため、「直訳」、「意訳」と言うときには意識のすり合わせが必要になります。
ということで、今回は、直訳と意訳の話。
直訳にありがちな特徴
「直訳」が備える特徴を以下に挙げます (他にもあると思います)。
これをやると「読みにくい、ネイティブっぽくない」訳になるので、大抵はクライアントが嫌がります。
辞書に載っている訳語を使う
原文が provide だったら訳語は絶対「提供する」を使う!というくらい、ある英単語にはこの訳語という風に、決まりきった訳語を使います。
主語の省略をしない
例えば、任意の人・不特定の人を指す You や、既出のものを指す It その他の代名詞が主語の場合、訳文では省略できることが多い (その方が日本語として自然になる) のですが、あえて訳文に含めます。
品詞転換をしない
読みやすい訳にするテクニックである品詞転換については以下を参照。
【第12回】翻訳の基本テクニック:品詞転換 | グローバリゼーションデザイン研究所
【翻訳技術】「品詞変換」によってスムーズな日本語にするテクニック|翻訳会社テクノ・プロ・ジャパン | Techno Pro Japan, Inc. | TPJ
無生物主語はそのまま主語に
生物以外の意思を持たないものを主語にして「~する」「~させる」という形で表す表現のことです。
例: The news surprised me.
訳 1 (無生物主語を訳文で主語に): そのニュースが私を驚かせた。
訳 2 (無生物主語を訳文で副詞句に): そのニュースに私は驚いた。
訳 2 の方が日本語としては自然ですが、直訳依頼では訳 1 が期待されることがあります。
原文に要素を足さない、引かない、変えない
いろいろなパターンがありますが、いくつか例を挙げます。ようは、原文から離れるなということ…。
足さない: 原文にない要素を足すのは NG。例えば、日本語に比べて英語は文と文の関係を示す言葉 (接続詞や副詞) をあまり使わない、と言われます。First の後、いくつか段落があったあと Finally が来て、Second や Third はどこ行った?なんてこともしばしば。訳文には「2 つ目は…」「3 つ目は…」と入れたくなるのですが、ぐっと我慢。
引かない: 原文が「add an additional ~」(英語でよくある重ね言葉) だったら訳文は「追加の~を追加する」(「追加の」は削除した方が望ましいが、そのまま)。
変えない: コンテキストによっては、You を「ユーザー」と訳したり、代名詞をそれが指している具体的な内容として訳したくなりますが、それはナシで。
直訳~意訳の度合いのグラデーション
上のセクションで、「直訳にありがちな特徴」を挙げました。
しかし、ある特徴を備えているなら XX だ、ある特徴がないなら YY だ、と白黒決めるのは悪手です。
例えば、鳥といったら「羽毛がある」「足が二本」「卵を (多くの場合は複数個) 産む」「嘴がある」「飛翔に向いた構造」…などの特徴があります。スズメはとても鳥らしい (多くの特徴に当てはまる) けれど、ペンギンやダチョウは鳥らしくない…でも鳥なのです。
というわけで、上記の特徴が見られると「直訳」だと評価される可能性はありますが、上記の特徴がないからといって、「直訳」でなくなったり、「意訳」になったりするわけではありません (その逆も同様)。直訳と意訳の間には、直訳とも意訳とも何ともいえないグレーゾーンがあります。
以下に、ざっくりと直訳/意訳レベルをグルーピングしてみました。
レベル 1
「超直訳」。上に挙げた直訳の条件を律儀に守ったような訳。
レベル 2
「緩い直訳」。「超直訳」から直訳調の表現やネイティブ日本人は使わない表現を排除した訳。
主語の省略、品詞転換、無生物主語を受動態にする、接続詞などを適宜補足し、原文で繰り返しを避けて類義語が使われているのを訳文では 1 つの単語に統一するなど、翻訳テクニックを駆使して読みやすくなっていますが、原文と訳文を対照してみると、対応関係がよく分かります。
「超直訳」を「直訳」とした場合、これが「意訳」と呼ばれることもあります。
クライアントとしては、「読みにくい、ネイティブらしくない表現=直訳」に対して、「読みやすい、ネイティブらしい表現=意訳」と認識していそうです。
一方、翻訳者としては、意訳しようとしているわけではないので、あえて直訳か意訳かを言うとするなら「読みやすい直訳」という認識なのでは、と思います。
レベル 3
いわゆる (?)「意訳」。
「直訳」的アプローチではどうしてその原文からその訳文ができるのか説明できないけれども、全体の意味に重点を置いてよくよく考えてみると (説明を受けると) なるほど納得、な訳。
いろいろなアプローチがあるので、説明が難しいのですが…
ことわざやダジャレは意訳しないとどうにもならないことが多いですね。
さらに「意訳」の中にも、意訳した意図が分かりやすい意訳と、飛躍した意訳があります。どこまでが OK な意訳で、どこからがやりすぎな意訳なのかも認識のすり合わせが必要です。
例えば、「Please keep the toilet clean.」を「いつもキレイに使って頂きありがとうございます」と訳すのは意訳でしょうか。意訳だとしたら、妥当でしょうか、やりすぎでしょうか。
レベル 4
トランスクリエーション、クリエイティブ翻訳、クロスマーケット コピーライティングといったものを指して「意訳」という場合があります。
原文が持つメッセージを読み取ったうえで、原文にとらわれない文を作ります (「翻訳」と呼んでよいのか?)。
映画のタイトルや企業スローガンなど、マーケティングに関連する分野の「意訳」はこれくらい。
直訳と意訳の認識をすり合わせるには
ここまで、人によって、直訳と意訳の認識が異なることを確認しました。何を直訳とするか、何を意訳とするかに正解はないと思いますが、実務では認識を合わせておかないとお互いに「こんなはずでは…」となってしまうかもしれません。
しかし、端的に「直訳」はこう、「意訳」はこう、と定義を決めて提示できるわけではありません (それができたら苦労はしない)。
認識を合わせるには、どんな方法があるでしょう? なかなかそんな時間も予算も取れないのが実情ですが、できなくもないことを書いておきます…
1. くわしくヒアリングする、具体例を示してもらう
クライアントに何を直訳と呼ぶのか、何を意訳と呼ぶのかを詳しく説明してもらう方法です。翻訳について詳しくないクライアントの場合、求める翻訳品質を自力で定義するのが困難だったり、時間がかかる可能性があり、現実的ではない方法かもしれません。
原文、直訳寄りの訳、意訳寄りの訳の組み合わせをいくつか用意して、好みの訳を選んでもらう、という方法が考えられます。
長期的に翻訳プロジェクトを続けているクライアントは、過去に翻訳した資料の原文、NG 訳、OK 訳を用意して、求めている翻訳品質のヒントを示してくれている場合があります。
2. フィードバックをもらう
納品物に対して、「これは直訳っぽい」「これは飛躍しすぎ」など、クライアントから簡単な意見をもらいます。長期的な案件では、このようにしてお互いの認識を徐々に合わせていくことができます。
単発の依頼には向かない方法です。
3. クライアントの既存資料を見る
クライアントの Web サイトなどを見ることで、そのクライアントの普段の言葉遣いから求められる翻訳のレベルを推し量ることができます。
翻訳対象によって翻訳のレベルが異なる場合があるので、依頼された翻訳のジャンルに近い資料を重点的に調査します。