もはある日記

岡山県の西端で、英日翻訳をしています。ここに「も」ステキなもの「は」いっぱい「ある」よ!

レトロニムと翻訳

レトロニム自体やレトロニムを持つ語の翻訳ってちょっとトリッキー? だなと思ったのでちょっとメモ。

 

レトロニムの意味は、Wikipedia によると以下のとおり。

「レトロニム」とは旧来からある「もの」や「概念」が、新たに誕生した同種の区別されるべきものの登場により、区別されるために用いられる「新たな表現や用語」のことである。

 

例えば、「テレビ」。テレビに関連する言葉の移り変わりは、おおよそ、以下のようになると思う (詳しく調べたわけではないので、誤っていたらご容赦を)。

①テレビが開発された当初は白黒のものしかなく、それが「テレビ」だった。

②カラーテレビが開発されたことにより、従来の白黒の「テレビ」と区別して新たに「カラーテレビ」という新語が生まれた。→新語が生まれたが、まだレトロニムは発生していない。

③カラーテレビが普及するにつれ、従来のテレビは「白黒テレビ」と呼ばれるようになる。「テレビ」単体では必ずしもカラーテレビを指すわけではないので、しばらく「白黒テレビ」「カラーテレビ」と呼び分ける状況が続く。→レトロニムが発生し、レトロニムと新語が共存する。

④白黒テレビが姿を消したことで、「テレビ」と言うだけでカラーテレビを指すようになる。→新語が使われなくなる。旧語が新語の概念を指すようになり、レトロニムが旧語の概念を指すようになる。

 

冒頭で「トリッキー」と言ったのは、日本語と外国語では、レトロニム周りの状況が言語によって違うから。

 

「電話」を考えてみる。

携帯電話 (スマートホン) の登場で、従来の電話が卓上電話とか、固定電話とか、家電 (いえでん) と呼ばれるようになった。

日本語は、③ の状態にある。レトロニム「固定電話」と新語「スマホ」が共存する状態だ (個人的には、今後「電話」だけでスマホを指すようになることはまずないと思っている)。

一方、英語は④の状態にあると思われる。

携帯電話が登場したばかりのころは、従来の電話が phone で、携帯電話の方を cell phone とか、mobile phone とか呼んでいた。次第に従来の電話を desktop phone や fixed phone と呼ぶようになる (レトロニムが発生)。今はもう単純に phone と言ったら携帯電話――つまりスマホを指すところまできた。

このように、日本語と英語の「電話」「phone」を巡る状況は 1 対 1 で対応していない。

こういった背景があるからか、英→日の翻訳物を見ると、「phone」が単に「電話」と訳されていて、モヤモヤすることがよくある。

「phone」1 語をスマホと訳すのは、ちょっと勇気がいるのかもしれない。言葉の新しい用法が辞書に反映されるのにタイムラグがあるのも原因かも。

例えば、「Authenticate by Phone」が「電話で認証」と訳されていることがある。認証のために電話がかかってくるのかな? と思いきや、スマホに SMS で認証コードが送られてくるとか、スマホの認証アプリを使って認証するとかだったりする。もちろん、通話で認証のこともあるけど。そもそも、日本語の「電話」は「電話端末」(phone) と「電話行為」(phone call) の両方を意味して紛らわしい。

 

 

以下に、英日間でレトロニムの状況が非対称な例を挙げておく。

 

e-mail address と postal address。

e-mail が登場してから、従来の address は、e-mail address から区別するために physical address とか、postal address とか、actual address とか呼ばれるようになった。

日本語の場合、従来の address は「住所」、e-mail address は「メール アドレス」のように呼び分けられている (レトロニムが発生していない) ので、英語の physical address は逐語的に「物理住所」などとは訳さず単に「住所」でよい。

 

e-mail と postal/snail mail。

e-mail の登場により従来の郵便配達される mail が postal mail や snail mail と呼ばれるようになった。

日本語では、従来の mail は「郵便」、e-mail は「メール」と呼び分けられている (レトロニムが発生していない) ので、postal mail や snail mail は単純に「郵便」でよい。なお、e-mail のことを「Eメール」や「電子メール」と呼ぶこともあるが、「郵便」と誤解することはまずないので「メール」でよいだろう。「Eメール」や「電子メール」という表現は誤りではないが、個人的には、かなり硬い文章 (契約書、専門書籍、行政文書、etc.) や翻訳調の文章という印象を受ける。